2005/07/20

7月6日所感

'05.07.06. 

  さて、7月ですね。下半期ですよ。気付いたらもう七夕ですね。電車に乗らずに、家と学校の往復、ばっかりをしている毎日ではなかなか季節感というものを感じる機会がないんですよね。例えば七夕だったら、どこかの駅にはきっと短冊が飾ってあるような気がします。

  「ご自由にお書きください。」

  みたいにたまに書いてありますが、あれって書いたことあります?もちろん僕はないです。いや、でもね、書いてもいいな、とは思うんですよ。ただ、一人でいるときにうかつに書いてみて、その姿を他人に見られているということを考えると、それはできないんですよね。でもね、人といるときにも、たいてい「書くのもありじゃない?」って提案するものの、あっさりと却下されます。願いがないんですか、じゃあしょうがないですよね。

  最近、授業期間も最後になってきて、弛緩しまくっています。あまり授業に出なくなりました。ついにこの症状が出てしまいましたよ。でも、ここは踏ん張るしかないと決めた今日この頃。残り僅かな授業期間(と学生生活)なので、頑張っていきたいと思います。

  梅雨入りしたと言ってもなかなか雨が降らず、逆に水不足を心配した今年ですけど、なんとか最近は梅雨っぽくなってきましたね。曇り空になることも多いみたいですけど、どうせなら思いっきり降ってください。特に夜から朝にかけての家にいる間に。その間に雨が降るのに関しては、全く問題なしです。大々的に降ってくれ、と思うくらいです。ただ、朝の登校時にはやめてほしいですよね。ここがチャリ通学の痛いところで、雨が降ると足がなくなるんですよ。歩きしかないですよね。そうすると自然と所要時間が数倍になってしまい、授業にも遅れてしまうわけです。それは困りますよね。

  そもそも、雨の日に傘をさして自転車を運転するのも嫌なんです。なんでかっていうと、色々な理由があるんですけど、一言で言うと、危ない。3年間以上ずっと屋根のない自転車置き場に放置されて、錆びまくっているマイ自転車を片手で運転するのは、とても怖いんです。実際去年コケました。今年もコケました。もうコケたくないです。そんな理由です。

  そうは言っても一年に一度しかない梅雨を楽しむしかないですね。


7月20日所感

'05.07.20. 

  これを書く前に日記を書け、との指摘はごもっともです。でもなんかこっちの方が書きやすいんですよね。縛りがないからかな。ま、本来自分の日記なんて他人に公開してもいいことあんまりないですからね。

  梅雨が明けましたね。みなさん、今年の梅雨を楽しみましたか?なんか今年はよく分からない梅雨期間でした。しとしと、じっとりという梅雨のイメージ通りの雨があまり降らなかった気がするんですけど、どうでしたか?梅雨には不似合いな激しい雨がけっこう降っていた気がします。ま、それもこれも全部イメージの話なんで、人によっては全然違う感じ方をするかもですね。

  さて、ついに夏です。僕の中での夏というのは、特に大学生になってからは、7月の梅雨明け&授業終了から、お盆までなんです。その短い 2~3週間までが本格的なナツと思って毎年遊んでいます。つまりは、海に行ける時期がやっぱり夏なんですよね。お盆過ぎあたりからはクラゲが怖いので。実はちゃんと刺された記憶というのも特にないんですけど。

  いや、しかし小学生の頃、何年間か毎年夏休みの終わり(つまり8月の最後)に、家族で海岸沿いの旅館への旅行をしていた気がする。つまり、何も気にせずに8月の終わりにも海で泳いでいた気がするなぁ。なんだったんだろう、あれは。防止ネットとかがちゃんとしていれば大丈夫ってことか。

  そんなこんなで、今年はバイトもなく、サッカーへの情熱もしばらくは封印し(さすがに4-7月期のシーズンで少しやり過ぎた感があります、毎年のごとく)、全くと言っていいほど予定が無い夏休みなので、とりあえず海に行くしかないです。海に行くって行ったら、ものすごくウキウキする行為なのに、世の中の人すべてがそういうノリではないらしく、やっぱり能天気に毎日を生きているのかな、と少し凹みますね。とりあえず、海に一緒に行ってくれそうな知り合い全てに海行こうぜって言っています。あまりにも多くの人に言い過ぎているせいで、逆に行かないことになりそうで、ちょっと嫌な予感も漂っていますが、なんとかみなさん相手をしてください。特にひまーず隊長とか。

  さて、この下らないページが思いもよらない方面からも見られているということを知ったので、より一層気を引き締めて(一層というか、全く引き締めていませんでしたが)、やっていくしかないですね。

  えと、書いてて、しかもその後いろいろ確認してみてやっと思い出したんですけど、このしがないホームページは見事3周年を迎えていました。。。ぱちぱち。わりと月の初めくらいだったらしい。いやぁ、月日が流れるのは早いもので、もう3周年ですか。全く気付かなかったね。それくらい惰性になっているという…ま、どういう形に変化していくかは分からないですけど、なんらかの発信は今後の人生でも続けて行くつもりです。奇しくも世の中ではそういうのがブームだし。さて、夏だ。


2005/07/12

KDDI、9月に「おサイフケータイ」開始

KDDI、9月に「おサイフケータイ」開始



むっ、意外に急な話ですね。

7月発表で、9月発売ですか。

確か前には2006年中には、とか言ってた気がするのになぁ。



とりあえず早いとこドコモを追っかけないと、Felica搭載=ドコモの携帯、というイメージができてしまうから、よくないなと思っていた。



しかし、「おサイフケータイ」という名前を一緒に使うようになるとは、ちょっと意外。



おサイフケータイはドコモの登録商標だが、「ドコモとの話し合いの中で、『おサイフケータイ』は一般名詞にしたほうがいいということになった」(小野寺氏)という。



ってなんか消費者のことを考えていてくれていて、嬉しいね。

おさいふケータイっていうのはすごく分かりやすし、存在は浸透しつつあると思うから、auでもすぐに浸透すると思う。

逆に言うと、Felica対応なのは、携帯電話だけじゃなくて、色々な競争相手が想定できるから、携帯キャリア同士で潰しあっている場合ではない、これはどうしても普及させないといけない、っていう危機感の表れなのかな、とちょっと思った。



しかしまあ相変わらず周りの保守派の友人や世間の人々は、こういう機能をとりあえずは欲していないみたい。

Felica搭載じゃない機種の方が売れているみたいだし、実際に買った人も、「絶対に使わない」と言っていました。



ま、確かにただの電子マネーとしてなら、今のところはそんなに使いたいと思わない、というか使うインフラがまだぼちぼち揃ってきたところだ、って感じだと思うけど、Suicaが携帯に入っていると便利ですよね。



KDDIの「EZ FeliCa」とSuicaが出会うとき



いやぁ、携帯にSuicaが搭載されると絶対に便利ですよ。

定期(or財布)を取り出す手間が省けるし。

チャージとか色々も楽になるだろうし。



問題点は、携帯忘れたら何もできなくなる、という事態ですね。。。。


2005/07/10

J2第20節

急に飛んでいる気がしないでもないですが、気にせずに。



福岡対徳島。

首位京都に負けてからは、調子を落とし、5試合も勝利から見放されている福岡。けっこうやばいです。



が、今節は久しぶりに快勝。

3-1。

もっと点を取れた。

チャンスはめちゃめちゃ作っていたけど、それで決めきれないのが、この順位に沈んでいる原因だろうと思う。

やっぱり決めるべきときに決めないと逆に痛い目にあうのが、サッカーというスポーツ。流れ、というのが非常に重要になってくる。



特に、今年のJ2のような混戦のリーグでは、大事なところでの1点の重みが違う。



そういうわけで、決定力がものすごく不安。

このままだと、運良く上に上がれても、絶対通用しないなぁ。

点の取れる外国人FWが欲しいと思う今日この頃。



ま、しかし今日勝って、なんとか2位争いには踏みとどまった。

首位京都が勝ち点50。そして、2位甲府から5位札幌までは勝ち点30で並ぶ大接戦。

そんな中福岡は得失点差で4位。

まあこれからは下位との対戦が続くから、とりあえず連勝だなぁ。



京都以外は軒並み調子がよくないという今年のJ2。

ある意味ラッキーだから、まあなんとか頑張って欲しい。



しかし、ホークスほどうまくいかんねぇ。


2005/07/07

電車の中吊り広告とケータイECサイトを連動

電車の中吊り広告とケータイECサイトを連動--売り上げはシェア - CNET Japan



どうですか、これ?

中吊り、とか、電車の車両ジャック、とか、車両の外側に広告を出す、とか、けっこう盛んですよね、最近。

実際のところ、電車の中ってけっこうやることないことが多くて、ぼーと中吊りとか見てるから、目に留まる機会は多いかなと思う。



しかし、モバイルコマース、ですよね。

きっと周りの人は誰も使っていないな。

PCのサイトでもどれほどの人が使っているのかは、疑問。

というか、すごくAmazonとか価格コムとか便利だし、俺はけっこう使っているんだけど、周りの人って、理由のない抵抗を感じている人が多いんだよね。



彼らの主張をまとめると 「なくてもなんとかなる」



ってとこなんですよね。



いや、確かにそうなんですけどねぇ。

そんなこといったらいつまでも変わらないですよ、と言うんです。

でも、 「変わらなくていいじゃん」



ってさ、難しい問題ですね。

世の中すべての人が、新しいものに興味があって、便利だったら、すぐに飛びつくわけではないというわけです。

当たり前なんだけど、自分がすぐに新しいものに飛びつく人間である以上、なかなか忘れがちではあるよね。



あぁ、大変だ。



ところで、ちょっと前だけど、これはいいね、と思ったニュース。



ライブドア、月額525円で全国使い放題の公衆無線LANサービス



ちょっと前だけどね。

でも便利だよね、実現したら。



「重視するのはカバーエリアと高速通信、低料金の3つだ」

10月までに東京都の山手線内ほぼ80%のエリアで利用できるようにする。



東京に住んでいて、よかった。

欲を言えば、後1年くらい早く実現して欲しかった。

まあでも早い段階で、今の行動範囲(本郷~東京あたり)をカバーするようだから、嬉しい。



ま、バッテリーが持たない、っていう新たな問題が発生するんですけどね。

はぁ。。。。


2005/07/06

6月30日のコラム

'05.06.30. 

  正確にはこういうことをするのは、法律とかいろいろな絡み上、あまりよくないのかもしれないけど、ちょうど最近ミスチルの新曲が出たので、それについてうだうだ。歌詞を少し載せます。



   どうしようもなく急に一人になりたいときがあり

   屋上で月を眺めていた



  確かに一人になりたいときってありますよね。でも、部屋にいるとテレビをつけてみたり、ネットを見たりするので、実はあんまり一人になれていない気がする。そんなときは確実に外だ。公園で月、というイメージ。屋上で月、はうらやましいなぁ。そういう状況にはなかなかなれないですよね。それほど高くない雑居ビルの屋上みたいなところから、月を見上げて、街を見渡すと気持ちいいんだろうな、きっと。



   進入禁止だって

   あらゆるものを拒絶して

   追い払ったのは僕だから



  ちょうど先週書いていたことと重なるかな。全てをマジメに考えすぎて、マジメに対応しようとして、それが完璧にできないことを嫌がる、という状態。もっと気楽に肩の力を抜いていかないと。いや、お前は十分気楽に生きてるだろうし、そんなにマジメに生きているようには見えないぞ、という意見もあるでしょう。ま、人それぞれですしね。



   ヨーイドンの合図 待たずして僕ら大人になっていくよ

   どこに向かっているのかなんて分からない



  確かにもう、僕らは大人になっていっている。1年後には社会人だ。どこに向かっているのだろう。どういう人になりたいのだろう。どういう人生を送りたいのだろう。しっかりと考えるべきだと思う。

  基本的にはあまり後悔はしない、と思う。昔のことはすっかり忘れてしまう気がする。くよくよしていないで、次のことを考えていたほうがいいよね。実際には、後悔しない、くよくよしない、っていうのは無理ですけど。ちゃんとそこには夏休みのような、十分な充電期間というのも必要なのだろう。いらないって思ってたくせに、でもやっぱり必要かなって思うなんて、変な人だ。頭で考えることと心は違いますしね。

  そんなわけでもう7月ですね。水不足にならないかどうかだけが心配です。


2005/07/01

6月23日のコラム

'05.06.23. 

  なぜか夜中に起きだして、文章を書いてみている。失敗した。こんなことをしていたら、明日とかに響くだろうのに、なぜか微妙に寝れずに、時間が勿体ないと思って、起きてしまった。まあ、夜中っていうのも、なんか不思議な時間で、こんな風に自分と向き合うには、なかなかいいのかもしれない。

  その夜中について。そういえば、この前、けっこう夜が遅くなって、街を歩いた。正確には、水道橋駅から、白山まで歩いて帰った。なんだ大したことないな、と思うだろうと思う。実際にその距離は大したことない。ただ、その区間を歩いたことは今までなかったし、何より、その時間(と言っても、まあ普通に日付が変わって1時間とか)に街を歩くことに、「うーん、割と楽しいかも」という感想を抱いた。

  渋谷や新宿のような、夜中でも喧騒が止まない場所や、全くもって静かになってしまう住宅街とも違い、一応後楽園、Laquaという娯楽施設がある水道橋を夜中に歩く、というのは何か違う。サーカスとか舞台の裏側を覗いてしまったような、妙に嬉しいような、それでいて、見ないほうがよかったかも、というような、なんとも言えないところなのである。

  水道橋が特殊、みたいな論調になってしまったけど、総じて言いたいことは、夜中のなんとも言えない時に、街を歩く(車でもバイクでも自転車でもなくて、自分の足で)というのは、なんだか未知の場所を歩いているような、新しい感じがするし、ともすれば自分の内面を探検しているような感じにならなくもない、というところである。

  そういうわけで、今は機会があれば夜中の街を歩いてみたいなのである。もちろん、夜遊びをしたいとか、夜中だけで生きて行く生活をしたいというような、そういう気持ちは全く持っていない。むしろ、基本的に朝型生活を志向する人間なので、基本は早く寝て、早く起きたい。

  でも、たまには、夜中に“ふっと”起きだして、街を歩いてみたいとも思う。そうだなぁ、まずは、この家の立地を生かして、本当に東京の真ん中、というところあたりを歩いてみたい気もする。それか、池袋であったり、ちょっと近い街までなんとなく歩いてみたいね。

  こんなことを考える最近の自分、というのは、果たしてどうなのであろうか。時間が経って振り返ってみると、この家に引っ越してきて、しばらくの期間というのは、やっぱり気分が、というよりもなんとなく全体的に、落ち込んでいた気がする。

  グラフに自分の気持ちを描いてみると、そこの部分は谷のように窪んでいたかも、というくらいに思っている。だからかどうかは分からないけど、本郷でできた知り合いには、あんまり心を開いていないのかな、と思う。きっと他の人から見ると、「なんか掴みづらいし、どう接すればいいのだろう」という人に映っていただろう。しかしまあこっちとしても、十分に傷ついていたし、そこで無理をして、また傷つく(傷跡にかさぶたができたくらいで、また剥がしてしまうような)ことはしたくなかったのだ。

  そんなわけで、最近では随分と人と距離を作ってしまったのかもしれない。図らずとも、これからの人生で長いつきあいになるであろう会社の内定者の集まりがあったときに、また距離を作って付き合ってしまう自分に嫌気がさしたので、こんなことを思った。

  嫌気がさすのだが、でも今もどちらかといえば、心は閉じている状態である。きっと“カラミヅライ”と思う。しょがないかな、という結論にしておこう。人っていうのは、複雑に物事を考えることができて、それが逆にいろいろなことに悩み、傷つき、そうやって生きて行くんだから。そんな状態で人と接するというのが非常に勿体ないというのは、頭では理解している。人との出会いは一期一会だから、「今はいいや」と思って接していると、後でものすごく後悔するかも、と十二分に分かっている。

  ただ、今はきっとこうやって生きて行くだけの理由があるんだ、と自分に言い聞かせることにする。これがどういうことになるかは分からないけど、また半年なり一年なり経った後で、振り返ってみればいいだろう、という気持ちである。

  そういうことを考える夜中。そろそろ太陽でも出てこないかな。