2005/07/01

6月23日のコラム

'05.06.23. 

  なぜか夜中に起きだして、文章を書いてみている。失敗した。こんなことをしていたら、明日とかに響くだろうのに、なぜか微妙に寝れずに、時間が勿体ないと思って、起きてしまった。まあ、夜中っていうのも、なんか不思議な時間で、こんな風に自分と向き合うには、なかなかいいのかもしれない。

  その夜中について。そういえば、この前、けっこう夜が遅くなって、街を歩いた。正確には、水道橋駅から、白山まで歩いて帰った。なんだ大したことないな、と思うだろうと思う。実際にその距離は大したことない。ただ、その区間を歩いたことは今までなかったし、何より、その時間(と言っても、まあ普通に日付が変わって1時間とか)に街を歩くことに、「うーん、割と楽しいかも」という感想を抱いた。

  渋谷や新宿のような、夜中でも喧騒が止まない場所や、全くもって静かになってしまう住宅街とも違い、一応後楽園、Laquaという娯楽施設がある水道橋を夜中に歩く、というのは何か違う。サーカスとか舞台の裏側を覗いてしまったような、妙に嬉しいような、それでいて、見ないほうがよかったかも、というような、なんとも言えないところなのである。

  水道橋が特殊、みたいな論調になってしまったけど、総じて言いたいことは、夜中のなんとも言えない時に、街を歩く(車でもバイクでも自転車でもなくて、自分の足で)というのは、なんだか未知の場所を歩いているような、新しい感じがするし、ともすれば自分の内面を探検しているような感じにならなくもない、というところである。

  そういうわけで、今は機会があれば夜中の街を歩いてみたいなのである。もちろん、夜遊びをしたいとか、夜中だけで生きて行く生活をしたいというような、そういう気持ちは全く持っていない。むしろ、基本的に朝型生活を志向する人間なので、基本は早く寝て、早く起きたい。

  でも、たまには、夜中に“ふっと”起きだして、街を歩いてみたいとも思う。そうだなぁ、まずは、この家の立地を生かして、本当に東京の真ん中、というところあたりを歩いてみたい気もする。それか、池袋であったり、ちょっと近い街までなんとなく歩いてみたいね。

  こんなことを考える最近の自分、というのは、果たしてどうなのであろうか。時間が経って振り返ってみると、この家に引っ越してきて、しばらくの期間というのは、やっぱり気分が、というよりもなんとなく全体的に、落ち込んでいた気がする。

  グラフに自分の気持ちを描いてみると、そこの部分は谷のように窪んでいたかも、というくらいに思っている。だからかどうかは分からないけど、本郷でできた知り合いには、あんまり心を開いていないのかな、と思う。きっと他の人から見ると、「なんか掴みづらいし、どう接すればいいのだろう」という人に映っていただろう。しかしまあこっちとしても、十分に傷ついていたし、そこで無理をして、また傷つく(傷跡にかさぶたができたくらいで、また剥がしてしまうような)ことはしたくなかったのだ。

  そんなわけで、最近では随分と人と距離を作ってしまったのかもしれない。図らずとも、これからの人生で長いつきあいになるであろう会社の内定者の集まりがあったときに、また距離を作って付き合ってしまう自分に嫌気がさしたので、こんなことを思った。

  嫌気がさすのだが、でも今もどちらかといえば、心は閉じている状態である。きっと“カラミヅライ”と思う。しょがないかな、という結論にしておこう。人っていうのは、複雑に物事を考えることができて、それが逆にいろいろなことに悩み、傷つき、そうやって生きて行くんだから。そんな状態で人と接するというのが非常に勿体ないというのは、頭では理解している。人との出会いは一期一会だから、「今はいいや」と思って接していると、後でものすごく後悔するかも、と十二分に分かっている。

  ただ、今はきっとこうやって生きて行くだけの理由があるんだ、と自分に言い聞かせることにする。これがどういうことになるかは分からないけど、また半年なり一年なり経った後で、振り返ってみればいいだろう、という気持ちである。

  そういうことを考える夜中。そろそろ太陽でも出てこないかな。


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