夢や目標を立てるときの距離感。それがすごくあいまい。
専門的な領域での専門的な能力を持つか、普遍的な領域での専門的な能力を持つか、自分がどちらの道に向かおうとしているのか、どこに向かえばいいのか、現在の僕の、社会とそして現在の仕事との距離感ではかなりはかりかねる。
後付けで諸々決まる人生ではなく、毎日をライブに生きているので、人生の設計をしているつもりでも、いつの間にか人生のある程度の選択肢、可能性が狭まっていることに気がつくと、怖くなる。
考えているつもりで毎日を生きてきたのに、そんな毎日の向かう先が本当に思い描いていた未来なのかという点について。
僕は、もはやある程度周りには公言しているけど、それなりの夢、目標を持って、生きてきたつもりである。
ただ、ここに来てそれにブレが出てきている気がする。
つまりそれは、もともと立てていた目標の価値というものがぶれてきているという実感。
狭い社会で生きてきたがゆえに、広い社会に出た時の価値観で見た時の以前の価値観に対する疑問。価値観の交錯。捉え方の違い。あっちがこーいえば、こっちはこーいう。
迷いその2。
僕のいまいる業界において、専門の専門に行けば、業界の未来を一歩引いて見ている僕としては、あまりよろしくないのではないかと思う。
ただ、現場真っ最中にいる自分としては、専門の専門の本当のすごさというのを肌で感じてしまっている。表面的な意味としての業界の捉え方としては、確かに未来はあまりいい方向には進んで行かないが、本質的な未来の行く末というのは、一概によくないものとは言えない。
少し分かりづらく土地で表現すると、「いかにいい土地に建物を建てるか」ではなく、「いかにいい建物を建てるか」という視点で勝負できればいいのである。言うは易し、行うは難し。
結局のところ、少し前に、この半年間ほぼ毎週呑んでいる友人たちには言ったが(うち一人は泥酔中)、僕はあっちかこっちかで悩んでしまうので、悩み
が深くなってしまうのだと思う。そんな2局論で物事は語れないのであろう、というのがもっぱら最近の結論。結局それは何も答えを出していないのだけれど
も。
酔っぱらってしかこういう話はできないけども、話し言葉だとうまく表現できないし、酔っぱらい相手だと途中に突っ込まれて最後まで言いたいことを言えないこと必至なので、あえて自分の頭の中のためにまとめてみました。
ほぼ自分のためでごめんなさい。
僕はやっぱり家族の末っ子ですから。