2007/08/15

カルピス「元気じゃないと●●もできない。劇場」

反対によく分からない。

流行に乗ってみました感がありあり。

さすはにこれはきついでしょー。。。



http://www.karada2peace.jp/


maxell DVD

えてして、ドキュメンタリーものというのは、最初からいいものを狙いすぎて、嘘っぽすぎたりなるものだけど、この場合は昔からやっているものの延長線上なので、すごくよく分かります。



むしろ今までのキャンペーンの、「いいことやっているんだけど、どうか物足りない感じ」をこれで払拭してくれます。

後はこれが、どれくらい地上波で流れたかと、WEB上で有名になったかによる認知度によると思うけど。



作品(というか、題材は当たり前だけど、一貫してやってきたキャンペーンの中でのこの素材ということ)には、いいと思っています。






検定ブームからおもう

世の中ちょっと、検定ブームみたい。

電車のドア上ツインステッカーに、「日本語検定」についての広告が載っていた。



そうじゃなくとも、英検の人気は落ちているものの、漢検の人気は上がっているらしいし(ちなみに僕は大昔に漢検を取得しています)、ご当地検定なるもの、各地で流行っているみたいだし、Nintendo DSの「ご当地検定」というソフトには僕の上司がここ数日ずっとはまっている。



Nintendo DS関連でいくと、常識力をはかったり、もうなんでもはかってやれ、というご時世。



ちなみに、僕も2週間前ほどにNintendo DSを衝動買いしました。

理由は、受験をした人なら誰でも分かると思う“山川書店”監修の「日本史B」というソフトがあったから。

いやぁ、かなり本格的です。

ほぼ一言一句漏らさず覚えたあの教科書がまさかゲームになるなんてなぁ。

そもそも社会を中心に受験社会を生き抜いてきた僕としては、かなり燃えます。



そういうわけで、やはり任天堂の大人の知的好奇心をくすぐる作戦におもいっきりはまった一味です。

もっぱらやっているのは、先輩に借りた「大人の常識力トレーニング」。

普通のゲームにはあまり興味を示さず、そういうのだけをやっている僕。

もはやゲームではなく、本当にトレーニング目的です。だらだらとできないし。





と、話を変えて、今日検定ブームにおもったこと。

なぜ検定が流行っているのか?

なぜ、漢字だの、常識力だの、そういうことを検定することに人が夢中になるのか。

いや、夢中になるのは当たり前だとして(人の好奇心をくすぶるものとしてね)、なぜそれを満たすのがゲームだの検定テストなのだろうと少し考えてみた。



それってやっぱり“伝える人”がいなくなったからなのかなぁと。

昔は、常識でも、地方の話でも、伝えてくれる人がいたはず。

でも、今となっては、そういうことをだらだら話すのは、面倒がられたり、避けられたりすることなのかもしれない。



少なくとも、僕はそう思うし、そう思った。



周りとの境界を作ることに尽力してきた現代の日本っていうのはなんなんだろう。

それは、個々の建築とか、都市計画とか、そういうことの積み重ねで結局日本社会がそうなってきたということで、個人の態度どうこうではないのではないかと思う。



昔から周りとのコミュニケーションに積極的な人は積極的であったであろう。

そうじゃない人が自然とどうするかっていうところが問題。



なぜ京都の長屋の良さを伝え、リノベーションをする活動を外国の人がやっているのであろう。



よく言われるように、日本文化のよさを、日本人は気がついていない。

気がついていても、それをうまく生かして、未来につなげていこうという積極的な態度を大多数の日本人は持っていないと思う。



僕は日本の家の寿命が短い、というのがすごく嫌いだ。

日本人こそ、モノの良さを見極め、それをどう生かして行くかということに長けていると思うのに、現代の日本で行われている建築(特に個人の住宅)の寿命が短いことがすごく嫌いだ。



結局僕は、外国の、もう何代も親子が住んでいるような家に(文化に)憧れているだけなのだと思う。



いろいろなものが失われていっているということが、いろいろなことから分かるものである。






2007/08/14

わけあって再度お引っ越しです

どういうわけだか、あっちの方がうまくいかない。

文系だけどもちょっとだけWEBにも詳しいと自負していた僕にも分からない現象により、うまくいかないので、まあ戻ってみました。



梅雨が空けるのが遅かった分だけ、暑い日が続いている。



確かに毎日暑いし、その中で一応はスーツ姿で出勤しているので、暑さにはうんざりすることもある。

が、その炎天下の下で毎年運動をしては、もうこんな生活嫌だと思っていた僕にとっては、周りの人が言うほど、実は嫌ではなかったりするかもしれない。

あの炎天下での運動の方がよほどイヤ。



なんだか、ここ数年どんなに暑くても窓を開けて、クーラーは切って寝る生活をしていたせいで、クーラーつけっぱなしにして寝ていると落ち着かない。というか、寝れない。

朝起きると死ぬほど汗かいている寝方も悪くない。他人からすればうっとうしいだろうけど。



当初の予定通り、日に日に肥満へと近づいている僕としては(それでも昔の予想よりはかなり善戦しているはず)、新陳代謝というのはかなり大事な要素で、そういうわけで、汗をかくことにはそんなにネガティブではないわけだ。

汗っかきは太っている人だ、という世間の見方に対してはネガティブだけれども。



クーラーつけないくせいに、家には扇風機がない。

そういうわけで、いまだに団扇である。

うちには、団扇がいっぱいある。

昨年、今となっては毎週呑んでいるあいつらが夏にうちに来た時に、あまりの暑さに裸になって団扇を扇いでいた姿を思い出す。(その記録の写真を見るたびに、そのときくらいクーラーをつけてあげればよかったのに、と思う)



でもきっと、高校球児の汗は美しく、僕の汗は醜いんだろうな、とも思うけども。





僕はいまだに毎日を悩んでいる。

結局のところ、このまま最後まで悩み続けて、くよくよして、過ごすだけなのかもしれない。

それとも、まだまだか?



僕は昔から慎重に、選択をしてきた方だけども、さらにいっそう、慎重にならざるを得ない。時がくれば、その時の“ノリ”でいいんだろうけど、今はまだそんなノリで選べる時ではない。

ただ、僕はいま、数多くの失敗をしている。失敗は成功の糧、などと言うつもりはないが、やはり失敗をしないと分からないことはある。いろいろなことで、ちょうどよく、で終わらずにやりすぎたなと思う域まで突き進んでしまう。



でも、

それはそれでいいと思っているんだから、失敗を潔くしている、と思っている。



後々の自分がそれをうまく生かしてくれればいいんだけども。





僕はやっぱり弱い人間だ。

タバコとギャンブルを覚えなかったのは、すごくよかったことだと思う。

もし知っていたら、そこに逃げ込んでいたかもしれない。

それくらい僕は弱い人間だ。



弱い人間には弱い人間なりの対処の仕方もあり、弱い自分と向き合って行かなければ、いつまでたっても弱いままだ。

いつかは弱い自分ともうまくやっていくために。





団扇とキーボードは両立できない。

それだけが夏の悩み。