Twitterから流れてきたこのブログポスト、吐き気すら感じたなぁ。
http://ameblo.jp/haruka-ito/entry-11257992636.html
化粧は必要経費って名言だと思います。
(途中略)#
それにしたって、私たち女の子は今の形態にいたるまでに総額いくら払ってんだって話ですよ。
(で、男の子たちよ、君たちは、一体いくらかかっているの?)
奢る奢らない論で言えば、
男女どちらでも、年齢差があろうとなかろうと
奢りたければ、奢ればいいと思う。
奢るというのは、
その場で感じた価値の代替、
もしくは次の機会への期待だけなのではないのだろうか。
あるいは、潜在的な意識として、
そういう社会的な通念みたいになってしまった行為を行わないことへの批判を恐れての行動。あとは、ただのポリシー。
じゃあ、年齢とともに女性の「必要経費」が増えていった場合はどうなるのだろう。
その分、奢られる額が増えていかないと釣り合わないとでも言うのかな。
奢る人は、奢る価値を感じるから奢るだけであって、
それはものすごく単純化した話で言うと、需給の問題であって、
供給側の必要コストから割り出せる話ではないと思うのだけど。
需要が多くあるから(多くの人に価値を認められている)から、
その供給を得るためには、通常より多くのコスト(奢るということ)が必要になってくるということだけだと思うけどなぁ。
その需要は、供給側がかけたコストに比例はしないと、(私の個人の意見ですが)思います。
まあ、しかも、これは自分が提唱(ローンチ)した、
ソーシャルで一緒に焼き肉を食べる人を募集するサービスの、
「奢る」ことを告知する機能に対してあった批判に対して、
反論のために載せたと思われる記事。
大丈夫かなぁ、こういう人たち...
この人も、とある会社に勤めていたみたいなので、
その元いた会社が批判されなければいいね。
必要以上に反感を買う会社や業界であるので。
にしもて、気分悪すぎる。関係ない人たちだけど。
※前提として、「必要経費」がかかっていることを否定するわけではないです。
ただ、それがイコールで、奢られる理由、となることへの違和感です。
あぁ、腹立たしいなぁ。
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